好きとは頭の容量を割くことである

好きなことをたくさん書きます。タイトルでジャンルだけはわかるようにします。

戦争と平和と有賀と間宮とモンスター

部屋とワイシャツと私みたいな

 

いやそういうことじゃなくて(わかるわ)

 

鋼の感想とか深く考えるのはあと5回みてからにしようかと思ってたんですけど、高殿せんせの質疑応答(たぶんずっと前のやつ)まとめを読んだのでちょっと思ったことを書きます……耐えられなくて……

 

以前、間宮のファンの方のブログで、有賀は戦争で間宮は平和なのだと読みました。それは正しく、間違いではないと思いました。

有賀は戦争の化身です。幼い頃から人を殺し、殺伐とした世界で生きてきた。育ての親を殺しすらした。

間宮は平和の化身です。幼い頃から両親に愛され、バイオリンを嗜み、きっと大きな不自由なく生きてきた。

世界の改心調印式典。テロの起きたあの日、交わるはずもなかった二人の運命は交わってしまった。平和が成立するはずの場で、戦争が起きた。

平和とは脆くも儚い。幻想のようなものです。人は愛ゆえに人を憎み、愛ゆえに人を殺す。ラブアンドピースは牛尾総理の代名詞というかキャッチコピーというかイメージ戦略ですが、ラブの元にピースが成り立たないという大きな矛盾。

二人はあの式典会場で見える世界が変わりました。間宮は真っ白なはずの世界に真っ黒な影を、むしろ、今まで自分が信じた白は黒だったのだと気付かされた。一方で有賀は、真っ暗だった世界に、たった一つの白い希望の光を見出した。

 

有賀は救われた。希望の光は間宮星廉の形をしていた。

間宮は絶望した。この世界は欺瞞に満ちている。信じられるものなど何もない。

堤嶺二は、自分のために作り出したモンスター、と、間宮と己を表現しますね。あの式典から、間宮は間宮でありながら、「モンスター」となる。これを仮に別人格のように、「モンスター」と表記して扱うとして。

「どうして人は、人を殺すのかな」そう冒頭で問いかけた間宮は、間宮でした。だってきっと、戦争を生きてきた有賀はそんなこと考えたこともない。自分が生きるため、死なないためには相手を殺すしかない。間宮は平和に生きているからこそ、殺す手段を取らない、取りたくない。話し合いで血を流さずに解決できることもあるのだと思える。

「愚かだからだよ!」あの港で、そう答えた間宮は「モンスター」でした。

 

ところで、二人の答えってなんだか、毛色が違うような気がしませんか。

 

「どうして人は人を殺すのですか」

これは英語にするとWhyから始まる疑問文になるでしょう。そして、主語は人です。

間宮の答えは正しく、「それは、人は愚かな生き物であるからです」となる。きちんと人が主語。

でも、有賀の答えは、「生きるためだ」でした。誰が生きるため? もちろんそれは、有賀自身や、仲間や、敵や、今まで有賀の目の前で人を殺した人のことです。

間宮の答えは、客観的で、一般論。有賀の答えは、主観的で、彼の経験則からきている。これが、二人の答えの毛色が違う理由で、二人の生きてきた世界が違う証明でもあると思います。

間宮には思い悩むことがあったでしょう。どうして人は人を殺すのか。テロリストはどうしてテロを起こすのか。戦争はどうしてなくならないのか。彼がたどり着いた答えは、「愚かだから」でもそれは、証明しようもないこと。

有賀は違う。そんなことを考えてはいられなかった。主語は「人」や「人間」じゃない、自分なんです。今ここでこいつを殺さなければ自分が殺される。どうして俺がお前を殺すのか、それは、殺さなければ俺が死ぬからだ。生きるためにお前を殺すのだ。

すごい問いかけだなって思います。この問い一文だけで、その人がどこで生きてきたのかがわかる。そして、同時に、有賀と間宮が、一生相容れないのも、わかってしまう。だって、もう違うんです、こんなにも。

 

「どうして人は人を殺すのか」その問いは二度出てきますが、どちらも、「平和」から「戦争」に対して投げかけられているのだと思います。一度目は間宮から有賀へ。二度目は、有賀から「モンスター」へ。

 

サクラ候補生だった間宮。クァンタムキャットの構成員だった「モンスター」。

二重人格だったわけではない。でも、こうとしか表現しようがない気もしています。

間宮はチャーチの中でバイオリンを弾いていました。バイオリンは平和のシンボルであったと、私は考えていますし、間宮にとっても有賀にとってもそうであったと思います。だからきっと、チャーチにいる間は、間宮星廉はまだ、間宮星廉のままでいることができた。

人は決して一つの顔だけを持つわけではない。所属する組織によって立ち位置が違って、役割が違って、求められるものも違う。当然、表出する顔もちがう。

チャーチで学んだ間宮も、間宮星廉でした。でも、クァンタムキャットとして、ショートヘアとして、テロを企て、嶺二を殺した「モンスター」も、間宮星廉でした。

人はそれを意識して使い分けてはいない。決して二重人格ではないけれど、気付いたら別人のようになっている。

 

有賀との絆を感じた瞬間に、間宮星廉は自分が、どうしようもなく裏切り者だということを強烈に意識した。

目指すものが違う。見る景色が違う。今まで第三者だったのに、自分のせいでこの男は死ぬかもしれない。自分はもう「平和」ではないのだと、気付いてしまう。

 

「俺はこれから、だれかのために人を殺す。だからここで死ぬわけにはいかない」

 

私はずっと昔から、世界中のすべての人が現状維持で満足をすれば、戦争はなくなると思っています。領土も金も利権も地位も名誉も何もいらなければ、銃を突きつけ合う必要は何もない。これはすべて、自分のために人に銃を向けること。なんだってそうでしょう、始まりはすべて、自分がこうしたいから、という利己主義。そこから戦争は始まっている。

有賀は作中でおそらく唯一、生まれてから死ぬまで、もしくは霊杯の日が訪れるまで、人を殺し続けるキャラクターです。上から命令されて人を殺す、自分が生きていくために。その図式はチャーチに入る前と後とで変わらないけれど、彼のモチベーションが変わっている、というのを、端的に表しているセリフが、上記なんだなとも思います。

この世界の誰かが生きていけるために、人を殺す。自分ではなくて、だれかが生きていけるために。

平和な世の中を作りたいと思っていた、誰よりも平和の象徴であった(少なくとも、有賀にはそう見えた)間宮に触れて、有賀が導き出した答えは、「これからも人を殺す」でした。

逆に、間宮は、戦争に触れて、テロを目の当たりにして、「世界を壊す」ことでしか、この世界は変わらないと思った。

 

あぁ、戦争終わらないな。私はそう思いました。有史以来戦争を続けてきた人間は、争うことでしか生きていけない。ネクロマンサーは正しかった。

 

それでも、地球は回ってるし、人は生きている。

人間の世界は、主観でできています。認識しないのは、存在しないのと同じ。この世界とかいう抽象的で存在しないものを守りたいんじゃなくて、大切な人がいるから、守りたい、死んでほしくない。それがある意味、健全な、サクラが戦う理由なのではないかと思うんです。その最たるものが、メサイア。相手もそう思って生きているから、自分も死ねない。

 

二世代ってある意味、怖いほど不健全だな。

 

こんなに書いても結局とっ散らかった思考はどうにもならない……鋼は怖い。メサイア怖い。

 

もう少し考えて、また鋼について書きたいなって思います。卵ふたりも書きたいし、本当は、ありがいつきについて書きたいのに、もう鋼が凄すぎて、とにかく凄すぎる。

またいっぱい見て、いっぱい考えたいです。そう思えるステキな作品だなって思う。涙止まらないけど。